過ごして来た環境は重要
俺と、今の彼女の出会いは三年前だった。
良く行くスナックで彼女はバイトをしていた。名前は“平松慧”と言い、なんだか男の子の名前のようだが、結構いい女だ。
彼女は気さくで、非常に頭の回転がよく、体育会系の女子だ。事実、中学から大学を出るまでの十年間“ソフトボール”をやっていたと言うから、筋金入りの体育会系女子なのだ。俺も中学から大学、そして社会人になった今も空手を続けているので、何となく話しがあったし、思考回路も似ているように感じた。
「慧、ビールはもういいからボトルを出してくれよ」と俺が言うと、「はい、ボトルを出しますね。今日は水割りですか?それともロックって言う感じですか」と、爽やかと言うよりはキビキビと訊いてくる。本当に体育会系女子が、結構無理してものを訪ねる話し方をするので、思わず「慧、初めに“押忍”が抜けてるぜ」何てまぜっかえすこともあり、気の置けない存在になった。
そんな慧と親密な関係になるまでには、そう時間がかかりはしなかった。
当時、慧は二十六歳で俺は二十九歳と、年齢的にも程よい距離感だった。
慧は何と小説家を目指して就職をせずに、独学で文章を書くことを生業にしようとしていたのだが、あまりに無謀な挑戦だと気づき始めていた頃だった。何度か慧の書いた作品を読ませてもらったが、今一つ人の心に入り込む力がないように感じた。
こうして、プライベートと言うのか、時間外と言うのか、そんなシチュエーションで会ううちに次第にお互い、惹かれるものがあり、距離はゼロになった。
気がついたら慧はいつも俺の傍にいるようになっていた。
同棲をしているわけではないのだが、いつもどちらかの部屋で一緒にいるのだ。
この事を、俺も慧も不思議には思っていない。むしろ、なんだか当然の結果だと思ってもいる。
俺たちの出会いで、決定的に言えることは、出あうまでに過ごして来た環境が似ているので、お互いに入り込みやすいと言うことだろう。
人と言う生き物は、それまで過ごして来た環境によって“同類”を見分けるのだろうか。過ごして来た環境のちがう他人とは、やはり距離感があり、それを縮める事には結構努力が必要だと思うが、同じような環境で過ごして来た場合にはその努力は初めから省略されているわけだから、距離がゼロになるまでの時間は短いし、その後の関係も良好だと言えるのではないだろうか。
だから出会いの中で、この過ごして来た環境と言うものは重要だと言えると思うのは俺だけだろうか。
もうすぐ俺たちは結婚する。
結婚後も慧は小説家を目指すと言うし、俺も仕事は頑張るが、空手を辞めるつもりはない。
お互いに、その立場は尊重しあって暮らしていくことをしっかりと約束したからね。
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